異国の文化にふれて
  無限の可能性を想う

2003年9月

今年の夏、日本は長雨だったが、パリ、ローマは、今世紀始まって以来という連日の熱波だった。身体の調子も、足の具合もこの上なく良くなった私は、異国の文化に触れたくて、機上の人となった。

十二時間のフライトは、何事もなく過ぎて、降り立った目前のパリ。凱旋門を中心に放射線状に広がる街並みは、街路樹と彫刻におおわれた芸術昨品の様で、ただ驚きの目をみはった。

パリは、バカンスでパリっ子も、子どもも、見当たらず、歩いて居るのは観光客ばかり。(熱波で、お年寄りは、家の中)?
ノートルダム寺院には、十二時のミサの時間に入れた。巨大な美しい薔薇のステンドグラスにぐるりと囲まれた高窓と天井。
暗い回廊にろうそくが点る中、神父さんの声が静かに響き、パイプオルガンと、聖歌の清らかな歌声、祈りさえも、宗教というより、出来上がった文化と歴史の重みを、感じさせた。

ベルサイユ宮殿の美しさは、「フランス芸術の粋を凝らした、絶対王政の栄光を象徴する宮殿です」との説明。その後、苦しめられた民衆の怒りによるフランス革命で、王も、マリー・アントワネットも、断頭台に消え、「共和国」誕生の舞台となった。

3日。自由行動をルーブル美術館見学にあてた。その壮大な建物の中に古代アフリカの遺跡からの出土品や、巨匠の作品群。中でも、息をのむおもいで見たモナリザや、ミロのビーナスは、今も私に本物の息吹で、「究極の美」を語り続けている。

ローマは、遺跡の中にあった。くずれた古代、中世も近代も、トレビの泉も、渾然と街並みの中に治まっているふしぎ。
バチカンのサンピエトロ大寺院。ミケランジェロの「嘆きのピエタ」はキリストを抱いたマリヤの悲しみに、私はふるえた。
その夜ホテルの自室で、私の大好きな、強く生きる日本の「母よ」の詩を、一人、涙を流しながら、おもいきり歌いつづけて、今、戦禍に傷つき逃げ惑う母子と、悲しみのマリアに捧げた。

「母よ、貴女の思想と賢さで、春を希がう地球の上に、平安の祈りを捧げて欲しい。其の時貴女は、人間世紀の母として生きる」。「戦争のない世界を祈願する母」に古今東西はない。

歩いて、歩いて、ポンペイの廃墟も、ひたすら歩き続けて、自分の限界に挑戦した旅は、文化の中に見る人間の無限の可能性の凄さ。そして私自身の可能性をも信じられた旅だった。

幾世紀かけても、まだ出来上がらない建造物に逢いに。歴史の勉強をして又出かけて行きたい。

戻る