きちんと話を聞いて集中し、考えて行動出来る子ども達に・・
  「言葉遣い」の大切さ・・

2000年6月

1年生になった子ども達が時々遊ぴに来たり、授業参観に行ったお母さん達から、吃驚するような話を聞いて、小学校の教育現場は、私の想像以上に先生が大変なのだと考えさせられた。 授業中うろうろ立ち歩く子、先生の話を全然聞いていないで、訳もなく他の子をぶったり、友達の筆箱を取り上げたりと、おちょっかいばかりして大声を上げる子、等々で、先生の声は、がらがらにかれていたという。 そうした子ども達が特別な子どもでなくて、ごく普通の子ども達だという事が、ひどく心配になる。

原保育園の子ども達は、集中力は抜群で、人の話もしっかり聞いて、考えて答えを出し、行動することが出来る。其れは、ふだんの生活が穏やかに流れていて、1人1人が慈しみ愛されているという安心感と、安定した自分の居場所を持っている子ども達のごく当たり前の姿で、0歳から5歳までどの年齢をとっても一貫している。どんな場合も普通の言葉で普通の声で話して全部通じる。

先日、3年生になった子が、「耳が痛くなるほどうるさくて先生の声も聞こえなくて勉強が出来ない」と深刻な顔で脳みを訴えてきた。 自分たちの持っていた日常的な常識と余りにもかけ離れている学校生活へのとまどいが、ずっと続いていて、かなり厳しいものだと知った。

「学校の教育現場の荒廃」などと言っていられない。むしろ大変な問題をはらんでいるのは、「幼児教育の現場の荒廃」ではないだろうか。「おい、おめえどけってば」「うるせえな」「なんだよう○○しやがって」などと、これが幼児の、毎日使われている、当たり前の言葉だと知って唖然とした。女子中学生の日常語は、もっとひどいという。家庭ではどうなっていろのだろうか。「言葉」はとても大切で、荒々しい言葉遺いは、心まで荒れてすさんでしまうのではないだろうか。つくづく「幼児期の基木的な教育」の大切さを、痛感するこの頃である。

 

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